「馬車馬のように働き、レディーのように振る舞う」がモットーのアパホテル・元谷芙美子社長は、高校卒業と同時に勤務した福井県「福井信用金庫」から社会人がスタートします。
その後結婚し、ご主人が立ち上げた会社に勤務するようになって以来、30年近くもアパホテルの社長として手腕を発揮してきました。
子供の頃にバイトで得たお金、信金での初任給、ご主人の会社を発展させるために自らの哲学、社員とのコミュニケーションなど、元谷社長の独特な哲学・名言をご紹介します。
スーツは私の最初の自己投資でした
元谷社長が就職した福井信用金庫の初任給は、1万7800円でした。2000円をご自分の手元に残して、残りは全部お母さんに預けました。将来の結婚費用や教室に通うかもしれないときの費用に取っておいてもらうためです。
当時の職場は、女性の地位が低く、女性が職場にいることが腰掛け程度にしか見られない時代でしたから、元谷社長は、女性だからと軽く見られないようにとスーツを買います。元谷社長にとって、ホンキで仕事に向き合っていることを示す戦闘服のようなもだったのです。
最初に購入したスーツは、毎月手元に残す2000円では買えない金額でしたが、何とか購入します。
その後も、衣装で身を包むことで、やる気を示していきます。
結婚して、旦那さんの会社で営業していくなかでも、衣装には気を遣います。そして、次第にブランド服で身を包むようになっていきます。
いまでは、実力も付き、信用も付いてきたので、ブランド服などは必要なくなってきましたが、40代までにスーツやトレードマークで着用してきた帽子などの総額は、ビルが2~3棟購入できるほどだそうです。
元谷社長にとっては衣装も大事な自己投資になります。その最初の自己投資が社会人になってはじめて買ったスーツだったのです。
素敵に見られたければ、外側だけでなく中身を磨く
はじめのうちはスーツやブランド服で身を包み、高額な衣装を身にまとう元谷社長のブランディングが功を奏して用がついてくると、今度は内面からにじみ出てくる美しさを身につける必要を感じてきます。
元谷社長はどちらかというと活発な女性で、ご自分でも認識しているように「じゃじゃ馬」のように動きの激しい方でした。
そこで、福井にいる頃はお茶やお花を習い、拠点を移した金沢では小唄、清元、日本舞踊などを、時間を見つけては習いに行き、それら全部にお免状をいただくほどの腕前になっていました。
そうなってくると、もう自分に自信が付いてきます。ブランド服や高級な衣装で相手を圧倒する必要もなくなり、自分の内面からにじみ出る奥ゆかしさ、品のある立ち振る舞いを自覚できるようになってきて、次第に、華やかな衣装から、黒を基調にした衣装に変わっていきました。
自分が素敵な女性になって行っていることを自覚できるようになると、落ち着いた色やデザインに目が向くようになるのですね。
自由に使えるお金は60万円 —宵越しのお金は持たない
現在のアパホテルは、総資産1兆3000億円という超大企業になっていますが、元谷社長が現在ご自分が自由にできるお金は60万円と言います。
当然、社長としての報酬はきちんと受け取っています。でも、元谷社長は宵越しのお金は持たない主義だと言います。手元にあるお金は残さず使ってしまうんだそうです。
でも、このように使ってしまうお金も、無駄遣いではなく、きちんと投資になるように使われています。
洋服や帽子への支出はなくなってきた元谷社長の、現在のお金の使い道、自己投資はコミュニケーションです。
いろいろな人との付き合いの中で、コミュニケーションを図り、人脈を着実に築いていっているのです。
コミュニケーションに見返りを求めない
食事などでコミュニケーションを取ってその代金は元谷社長が支払いますが、だからといってそのことで何らかの見返りを期待してはダメだと元谷社長はいいます。
人脈は資産であって反対給付のツールにするのは間違っているからです。
よく、「喜ばれることしてあげたんだから、なんらかの礼はあるだろう」などと考えを持つ人がいますよね。そして、お返しがないと「アイツにたかられた!」と。
元谷社長はこのように言っています。
長い目で見ると、人脈こそ資産です。
人脈をそのように使うのはハンサムじゃない。
無償の愛だから人脈が資産になるのであって、
見返りを期待した瞬間、幸せは返ってこなくなります。
ご自分をじゃじゃ馬のような人間という元谷社長は、いくらか男性的な考え方が入っているようです。そして、お金に関してきれいな使い方が身についているようです。
ホントの、人生最初の自己投資は、家族への鍋焼きうどんだった
このページの冒頭、元谷社長の最初の自己投資は、勤め先に着ていく貯めに買った「スーツ」だったと記しました。
元谷社長も最初はそう考えていたようですが、コミュニケーションのためのお金の使い方に重きを置くようになった今、最初の初任給で家族全員で食べたこの鍋焼きうどんこそが、最初の自己投資だったと言っています。
家族全員で笑顔で美味しい料理をいただく光景は、まさしく何物にも代えがたい大きな資産といって間違いないですね。
元谷社長のデータ
元谷芙美子 (FumikoMotoya)
アパホテル取締役社長
1947年、福井県生まれ。
1971年にご主人・外志雄氏が設立した信金開発(現・アパグループ)取締役就任。94年から現職。
著書
『強運ピンチをチャンスに変える実践法』(SBクリエイティブ)
『私が社長です。』(IN通信社)
『続・私が社長です。』(IN通信社)
座右の銘「馬車馬のように働き、レディーのように振る舞う」