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『親父の小言』人生、家族、成功を導く8つの教え

人生

親父の小言』を知らない人はほとんどいないでしょう。

居酒屋の湯飲み、そば屋や和食を提供してくれる料理屋の箸袋にもありますし、観光地の土産物屋には壁掛けや手ぬぐいなどに記されて販売されていたりします。

ちょっと古くさい説教のようにも感じますが、それほど押しつけがましくもなく、言っていることはどれも的を射ていていごもっとも!というものばかりですね。

こちらでは、皆さんご存じの『親父の小言』にいくつかある小言(説教・教え)から、現代でははじめて聞くような内容や、現代だからこそ耳が痛くなるようなそんな小言、8つを厳選してご紹介します。

何事も分相応にしろ


現代では、成功哲学や出世ノウハウなどでは、金持ちになりたければ、自分がすでにそうなっているような出で立ち、住まい、生活環境にすることだ!と言われますよね。

また、深層心理の世界では、自分がすでにその地位、身分、環境にいることをイメージしていけば、脳が今の環境と違うことに気づいて成功者になるように働いてくれるのだそうです。
これを、べつの表現では「引き寄せ」とも言います。

江戸時代は、今の位置とまったく違う環境にするのは大変なことでした。士農工商という身分制度もありますし、なによりも、現代のような欲しいものがすぐに手に入る社会ではありませんでした。

金持ちが身につけている衣装などは、相当高価ですし、販売している店も商品も限られていました。

そんな中で、無理して高価な服で着飾ったり、高い料理を食べるというのは、身を破滅させることにつながりかねません。

「分相応」という言葉は、その人の境遇を言い、この教えは身の丈に合った生き方を勧めています。

江戸時代の教訓書「商人平生記」では、以下のように説いています。

自分の身分、環境をよく見極めて、少しでも分不相応なことは控えることだ。
出費は利益の6~7割程度に抑え、残りは不時の時に備えておけ。
どんな場合でも、分不相応なことをするのは大きな不幸ごとを招きかねなく、よくわきまえて、悪いことの予兆が起こらないように努めていれば、心も穏やかになるし、諸事万端、不都合なことは起こらなく、次第に生活が豊かになっていくことだろう

外面だけをよくしても、「お里が知れる」と、周囲から陰で笑われるのがオチです。
実績が伴うように人間性を高めていきたいものですね。

小商物を値切るな

インターネットの普及、そしてスマホの普及もあって、ネットフリマが大盛況です。
このネットフリマでは、出品者に設定価格から値下げ依頼が一般的に行われています。

サイト管理人も街のフリマイベントに出店して自宅の不要品を処分したことがあります。
よく値下を要請されたものです。

ちなみに、中国で値下依頼するのは、「絶対に買う」からもう少し安くして欲しいという意思表示になりますので要注意です。
値下依頼しておいて、その程度の値下なら買わない、というのは御法度なのです。
その店を離れても、店員がどこまでも付いてきます。買わせるためです。

サイト管理人は、中国に何度か行ったことがあり、市場に行ったこともあります。値下依頼はしたことありませんが、観光客らしい日本人に店舗の人らしい女性がずっとついて行っているのを何度も見たことがあります。

さて、『小商物を値切るな』は、江戸時代の日銭を稼いでいるような商店での取引きをさしています。
江戸時代の「商人心得いろは歌」では、このように歌っています。

「値切るにも程々があり商人に 毎々損をさすな買い物」

八百屋、魚屋などの商店程度の店で値切るのは、わずかな利益のために身を粉にして商売している商人小商いに対して、ただでさえ薄利な小さな商いで値切るな、と言っているのです。

このような相手に損をさせるほど値切りが続いてしまえば、二度と売りに来る商人がいなくなり、結局は売ってもらう立場の自分も生活が立ち行かなくなるだけだと戒めているのです。

ネットフリマで数百円の商品で値下げをするよりも、車や家など、大きな買い物で節約高価を発揮したいものですね。

若いうちは寝ずに稼げ

若い世代は遊びたいことの誘惑が多くあります。寝るのを惜しんで遊び回るなんてことも。
若い人が仕事や家業に精を出すよりも遊びにうつつを抜かすのは今も江戸時代の当時も変わりないようですね。

江戸時代には、若い人に限らず仕事、業務に精を出すことを説く格言、ことわざ、書物が多数あります。

『夜鍋三両、朝起き五両』

夜鍋とは夜業です。昼も夜も仕事に励む様子を「夜鍋(夜業)をかける」と言いました。

童謡「かあさんの歌」では、♪かあさんが 夜なべをして 手袋あんでくれた・・・とあります。
昼、田んぼや畑仕事した後の夜に、夜中まで寝る時間を惜しんで、自分のために手袋を編んでくれる母・・・

情景が浮かびますね。

『十文の油をとぼして五文の夜鍋せよ』

当時の一文を現在価格12円ぐらいとすれば、一晩に油代120円を使って60円の仕事をしなさいということです。
目先の計算では夜鍋をすればするほど損が多くなります。でも、そこで説く真意は、夜も時間を惜しむ心が習慣になれば、将来的にはそのほうがはるかに大きな意味があると説いているのです。

『人生はわずか50年だが、夜、寝ざれば100年に当たる』

戦国時代の武将で、尼子氏の家臣、田子の時隆(多胡辰敬)が家中の家人に説いた言葉です。

怪我と災難は罰と思え


怪我や災難は、日頃の行いの結果で、自分が招いたものだとの教えです。

現代では、理由が分かっている怪我や災難の他に、自然災害やもらい事故、盗難事件なども多数起こります。
そういった災害、もらい事故は、結局は過去の自分の行いが招いたものだというのです。
善因善果、悪因悪果なのですね。

江戸時代の当時は、神仏祈願が一般的で、このような事故、災害、怪我を避けようと信心して、幸福、裕福を願う一方で不幸ごとを追い払うことも祈願していたものです。

江戸時代の儒学者で備前岡山藩の儒医であった関一楽は、日常の道徳をわかりやすく説いた心学書『冥加訓』ではこのように紹介されています。

天が加護して人間に自然と備えてくれるものが天の賞(ご利益)である。
人間が好んで天に見放された結果が天罰である

「好んで」との言葉を使っているところが、まさに、自分で引き寄せた結果だということですね。

夜更けに歩くな

江戸時代の当時は、現在のように夜の通りには灯りはほとんどありませんでした。常夜灯が登場したのは明治の文明開化の時代で、西洋文化が日本に入ってきた頃。
ですから、時代劇で見るように夜道は提灯を手にして道を照らしながら歩くものでした。

「夜更けに歩くな」には、このような灯りのない夜道は危険だという戒めもありますが、もう一つの戒めとして「夜歩き」は江戸時代当時、特に遊郭へ行くことを表すことばだったことから、第二八条「女郎を買うな」の戒めも含まれています。

灯りのない時代の夜歩き、たとえ月夜で月明かりが道を照らすと言っても大変危険です。
またそんな夜の夜長に浮世の街に繰り出すのは人生にとっても大変重要な意味を持ちます。現代の東京の遊興歓楽街、歌舞伎町は不夜城と言われますが、息抜き程度ならいいかもしれませんが、はまって抜け出せないようにしなくてはなりませんね。

子の言う事は九ッ聞くな

この小言は、子供を甘やかすことなく、また親もしっかりと親らしい言動を込めた教えです。

親が子供に甘くなるのはどの時代も同じようで江戸時代は子供と親の心得を説く教訓書は非常に多く出版されていました。
この小言では、世の親たちに「子供に迎合するな」と戒めています。とくに女母親の子供に対する溺愛は「姑息の愛」として問題視されました。

錦耕堂、山口屋藤兵衛が記したとされる「女今川玉文庫」には、「姑息愛し子に用捨していたわるは大毒飼いの親と知るべし」の教訓歌が取り上げられています。「用捨」とは子供のわがままを大目に見てしまうという意味です。
可愛い子供といえども、叱るときはしっかりと叱り、躾けるところでは躾けることの重要さを示しています。

また、上述しましたが、子供に対する教えだけでなく、親に対する教えでもあるのが「子の言う事は九ッ聞くな」です。
子供の頃に親からこのように躾けられて、育てられ、それが親になったときに、自分が躾けられ、教えられてきたことを今度は自分の子供にも受け継いでいくことの必要性を説いてもいるのです。

この画は、子供を甘やかすな、用捨するなという教えの教訓歌が記されています。
この当時の女性は嫁入りが10代後半だったと言いますから花嫁修業も早かったようです。
10歳にもなれば、母の針仕事の側で遊ばせて女性の仕事をそれとなく教え、12~13歳頃からはしっかりと仕込んだり、裁縫の師匠に付けたりしていたそうです。

人に馬鹿にされていろ


現代の風潮として、人に軽んじられるな、人になめられるな、という意識が強いように感じます。マウントを取るという言葉もこれに似たところがあるのかもしれません。

しかし、知ったかぶりするほど、本人が知らないところで周囲は知ったかぶりした人を軽んじているものです。
それよりも、知っていても、知識があっても、経験が豊富だったとしても、その場でははじめて聞くことのように振る舞っている人でいなさいと、この「人に馬鹿にされていろ」と教えています。
自分の知識をひけらかしたり、場の主導権を取ろうと発言したりするよりも、例え自分が知っていることであっても、他人の話を聞いていることで、自分の知らないことが聞けたりと、以外と勉強になるものです。

他人に馬鹿にされているのは、非常に耐えがたいことです。しかし、そうすることで得ることの方が、サイト管理人のこれまでの経験でもかなりのケースで当てはまっています。

部下に「相手になめられるなよ」が口癖だったある会社の社長は、衣料関係の取引先から

お宅の社員の◯◯さんは、話の内容がどうも弊社の要望とは違うレベルのことを仰ってますし、弊社にお出でになるのに、他社のブランド服でお見えになるのもどうかと思いますが・・・

と苦言を呈されました。他社のプレゼンが要望を真正面から検討し的確な説明だったことから、ほぼ8割方受注が決まっていた商談が逆転したそうです。

馬鹿にされまいと思ったことが、取引先の心証を悪くし、不評を買っただけでなくビジネスでも失敗したという回復できない大失態を招いたというケースです。

神仏を祈れ


現代では、神頼み、というと軽く見られたり、そんな非科学的なことを・・・と、思われがちですが、「親父の小言」が記された江戸時代の当時は、神・仏が生活の大きな部分を占める存在でした。

「怪我と災難は罰と思え」でもお伝えしましたが、神仏の加護、存在を肯定する毎日だったのです。
願かけや厄除けなど日常生活のあらゆる事象が神仏の信心につながっていて、現世利益的傾向から信仰にもブームでもありました。

とくに、一般庶民だけでなく、一国一城の国主、城主なども競うように神仏を大事に祈願してきました。戦の勝利はもとより領民の安泰、領地反映を願い、大金をはたいて寺社の修復等を行ったものでした。

またこの「神仏を祈れ」では、家長制度を支える大きな意味もありました。
当時の女子心得を平易に説いた「女前訓躾種」は

朝に夕に神仏をあがめ奉る行為は、子や孫などに対して信仰心を植え付けるだけでなく、父母や妻子を養うことに繋がり、また、信心を怠ってはいけないという気持ちにも役立ち、そして、何事にも素直で、邪な考えを持たず、父母によく仕えれば、神も嬉しく思し召し、その人を日夜お守り下さる

と教えています。

まとめ

この親父の小言、書物として江戸時代に発行されていたようです。
居酒屋の湯飲みでは32箇条ですが、江戸時代に発行された書物には45箇条のものと、81箇条のものがあります。
どちらもほとんど同じ内容のものが多く、45箇条のものは81箇条のものを抜粋したものかもしれません。

居酒屋の湯飲みに記されるほど、商売人には大事な言葉、教え、格言ばかりです。現代ではほとんど廃れた習慣などもありますが、それでも、改めて目を通してみると心を打ち、襟を正したくなる言葉も多くあります。

古くからの教えですが、身近な親父の言葉と思ってありがたく頂戴したいものです。

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